チッピングのその先に


 最新号の『ROCKCLIMBING』にチッピング問題を考察した室井登喜男氏の文章を読んで、ロクスノ65号で「アクセス問題を考える」という連載の最終回の記事が心に残り、もう一度読み直してみた。那智の滝問題にも触れて、この問題で室井氏はアクセス問題を再考する為理事を退任した。最終号の記事の一部を以下に引用します。

 「日本のフリークライミング黎明期を知る身として断言できるが、かつてのほうがクライマーのマナーはずっと悪く、マイナーかつアウトサイダーな存在だった。駐車場での酒盛り、岩場での焚火、便の放置などは当たり前、それに比べれば、今のクライマーのマナーはすこぶるいい。また、事故の多少の増加があったとしても、現在でもなお、釣り、スキー、登山といったほかのアウトドア活動に比べれば、圧倒的に少ない。不信に思われることがアクセス問題発生の温床になっているとしたら、メジャー化は不信感を払拭するのだから、アクセス問題はむしろ減少していいはずだ。 
 そうした疑問が膨らむなかで発生したのが、12年の「那智の滝事件」だ。あの行為は「信仰」や「観光資源」といった価値観への配慮と調整の不足、あるいはアクセス問題対策としての戦術的なマズさにおいて問題だったが、この連載でも述べたとおり、クライミングの価値観はなんら否定されるべきものではないと考えていた。しかし、事件をめぐるメディアのバッシングやJFAに届く罵詈雑言の抗議メール、そしてクライマーからも湧き起こる非難は、もはやクライミングそのものの否定ではないかと疑いたくなるものだった。人は自分が直接知らない人や関わりのないことに、これほどの敵意を向けられるのか。これが当然のことだとしたら、異常なのはクライミングではなく、社会の側なのではないか。

 クライミング文化を守るとは何か。アクセスという文脈で考えれば、それはクライミングの舞台である岩場を守ることだろう。しかし、舞台は、そこで演じられるクライミングがあってこそ、舞台になり得るのであり、クライミング抜きの岩場というものはあり得ない。アクセス問題対策が、演じるべきクライミングを殺してしまうなら、われわれは守るべきものを失っている。
 クライミングは、長い歴史をもちつつ、常に新たな困難への挑戦を続けてきた。岩という同じフィールドを使って、さまざまなスタイルを生み出し、それを共有し、継承することでひとつの文化を形成してきた。スポーツであると同時に、多種多様な試みが許される冒険でもある。それが許されるのは、さまざまな制約から解放され、個人の価値観が尊重される自由があるからだ。その自由こそがクライミング文化の礎であり、そしてそれは本来、異なる価値観をお互いに尊重し、共存するために調整を図るという、この社会の礎でもある。
 アクセス問題とは何か。それは自由をめぐる問題だ。」
 
 アクセス問題が実は社会の変化、一般常識や社会規範の厳守を求めることや、土地に対する強い権利意識を保持すること、あるいは事故に対する自己責任の追及。だと室井氏は考察した。そして、昨今、また新たな問題が起こる。チッピング問題だ。これは社会というか私たちクライミング界の事件である。その原因を考えると、クライミングジムとそれに伴うクライマー人口の増加によるとも考えられる。人口が増加して、今まで想像にも及ばなかった。岩の課題を人工的に変形してしまうという破壊行為を行う人種が現れた。なぜそういう行為に至ったか、その人物の背景を考えざるを得ない。大手のクライミングジムで登っていると、競技を目指しているスクールに所属する子供たちがいる。凄まじいトレーニングその先にはコンペの順位と勝負しかない。泣きながら練習する子供たちはその成果も表れるし、そうでない子もいてる。スポーツは当たり前だ。コンペならその成果はコンペで現れるしズルはあり得ない。そのスポーツ性が岩場に持ってきたならどうだろう。クライミングジムが増えクライマーの環境も整い、クライマーの技術も力も向上している。岩のクライミング情報はネット社会で飛び交う。登れるか登れないかが現代クライマーの生命を支えている。チッピングの種類は登りやすくしているものも、難しくしているものも、岩の開拓者への憎悪とも思われるものもある。その背景には少なからず、登れるか登れないかの大人の怨恨が満ちているように思える。チッピング対策を考えるなら、岩場に隠しカメラを設置するとかその案も妥当だと思う。かなりの防御に成り得るとも思う。その他に、何よりも「登れるだけがクライマー」ではないということ。開拓者への敬意やクライミングは文化であるということ、クライミングとは何かその本質を後輩に伝えることだと思う。その使命はクライミングジムにもあるし、マスコミに関わる人なら、一般人にも室内のボルダリングだけではない岩登の素晴らしさと、それは文化であることを伝えるメディアに提案をして欲しいと思う。
 チッピングのその先に何が待っているのかは、竹内俊明氏のいう「文化の深さを続けて伝える隙があるなら、今しかない」ように思う。
 
 

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