そこにある山

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角幡唯介著『そこにある山』を読む。冒険家である著者がなぜ結婚したかについて、また人はなぜ山に登るのか、テクノロジーとの関係など、哲学的、論理的に考察していく。著者は冒険家で結婚とは無縁と思い生きてきたが、結婚に至りなぜ結婚したのか?と聞かれることが多く、雑誌の連載で書くことになった。その理由を選択ではなく事態だとハイデカーや國分功一郎の哲学者の論理から説明している。著者の妻は「何が中動態よ。何が事態よ。あなたが結婚したかったから結婚したんでしょ」と反発するらしい(笑)。私が結婚の理由で納得した経験がある。冒険家と同様の血筋をもつクライマーという人種がいるが、以前その男友達から、今度結婚することになった。と告げられ、決め手は何やったん?と問うと、「登る為に結婚する」とだけ答えた。私はひどく納得し大いに祝福した。いや今度結婚することになったから、あんまり登ることはできなくなるかも・・・というのが一般的な答えだ。今思うと、彼女のどこがいいここがいいということができたけれど、適齢期をとうに過ぎた女友達への思いやりだったのかもしれない。そしてクライマーとしての彼をサポートできるような女性だったのかもしれない。
 「人はなぜ山に登るのか」は感慨深い。本多勝一がそのロマンチシズムな「そこに山があるからだ」を否定し、処女峰だからだと述べた。しかしそれだけではない。事態ということばで著者はマロリーの「内在的理解」を紐解く。
 終章では40を半ばになろうとする著者が「人生の固有度と自由」について現代社会で人が生きる上で欠けていて、一番大切なことが書かれている。「人生の固有度が高まるとほかの人の意見や言葉が気にならなくなるし、他人が自分のことをどう見ているのかもさほど重要なことではなくなる。一人の人間として価値や是非を判断し、物事に対処することができ、成熟した人間として画然としてゆく。」
 読者は己の事態を振り返り、自由に生きる為に著者のメッセージを心に刻むに違いない。
 

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